ダイバーシティ工房10周年を機に、代表と創業期のメンバーでこれまでの10年を振り返り対話しました。今後の10年の展望についても代表の口から語られました。
**話し手**
不破 牧子
ダイバーシティ工房代表
2012年より法人代表として地域密着の事業を複数展開。2020年に沖縄へ家族とともに移住。現在は遠隔で新規事業の立ち上げと職員の育成を行う。沖縄での事業展開も画策中。
立田順子
シェルターLe phare 副ホーム長・自立援助ホーム職員
保育所・児童自立支援施設・児童相談所・療育施設での勤務を経て、2013年に入職。スタジオplus+教室長を経て、2020年より自立援助ホーム・シェルターの立ち上げに携わる。
久野恵未
事務局次長
法人創業期の元インターン生。2013年にインターン卒業後、地元に戻り金融機関で勤務するかたわら、プロボノとして法人の広報活動にかかわる。2014年再参画。事務局スタッフとして、採用・労務を担当することを経て、人事・採用の責任者となる。
大野亮
地域の学び舎プラット運営責任者。法人の組織作り担当。
初代インターン生。2013年にインターンを卒業後、企業勤務を経て、2017年再参画。学習支援事業部にて、直接支援と教室運営の管理を行う。また、法人の組織作りを担う。
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工房*の歴史を振り返れば合宿がある
(*職員が呼ぶダイバーシティ工房の通称)
ーダイバーシティ工房には、宿泊して会議を行う「合宿」という文化があります。
不破:立ち上げ当初はインターン生がいて、自在塾運営はインターン生に任せられたから、私がスタジオplus+の教室運営に力を注げたんですよね。そのころも自在塾に泊まって何度も合宿してたんです。
久野:そうでしたね。そして2015年からは若洲キャンプ場とか市川少年自然の家とか、アウトドア合宿に行きましたね。
不破:2015年は工房アウトドア元年。それぞれグループに分かれて、前菜とかデザートとか担当を決めて料理をして。
立田:学生時代みたいでした。あ、この班でやるんだ。みたいな(笑)
久野:このころが最大規模で、その後縮小傾向になったんですよね。スタッフが増えるにつれて、「合宿行かなきゃだめですか?」って質問されたりして(笑)
不破:それで、2017年からはプラットで合宿をやるようになったんだよね。
立田:その前の合宿で成果指標をみんなで考えるワークをやって、事務局の進行役も、参加した現場のスタッフも悩んですごく大変になってしまって。
久野:そうでしたね。成果指標も評価制度も作ったり、全体に伝えるのは大変でした。
不破:評価制度を作り出したのは3年前くらい?
大野:前段階として、もう少し前にスキルチェック表の作成もありましたね。
久野:2014年に不破さんと事務局メンバーとで非営利団体向けの組織作りのマネジメントスクールに参加して、それで成果指標を作ることになり合宿で話し合ったけど難しかったです。
スキルチェックを作る時も、「これでは測れない」と、現場からは結構反発を受けて。良い経験でもあり大変な面もありました。今思えばそれぞれの思いや、守りたいものがあったんですよね。
立田:はい。思い返すと私は現場の人としてやってきていて、当時は組織作りという視点はあまりなかった。どうしたら目の前の子どもたちに良い支援ができるかに日々集中していたし、支援の質を整えなければという焦りもあったと思う。
でも以前より内部への見せ方が変わってきて、みんなで作っていくという意識もだいぶ浸透しているから、最近のスタッフのみなさんは柔軟なんじゃないかな。
大野:みんな勉強熱心で、自分で学んだことを他の教室の人とシェアする現場発信の研修の場も生まれています。「こういう勉強会をしたい」という意見が出てくるのは、変わらずにスタッフの中にある良さだと思います。
【紆余曲折の組織作りと、コロナ以後】
ー職員数も増え、組織作りも試行錯誤が続きました。
不破:2016年から2019年くらい、採用説明会は良い人に工房を選んで欲しいと思って大企業っぽい内容だった。どんどん良くするし、広げます! と。だけど今はもっとありのままを見せている感じかな。
入った人たちはどこか大企業感覚で、これはどうなっているんですか? 教えてもらってません。という感じで、こちらも言われたから整えて作らなきゃとなって。もうそういうのやめたいな、って思ったのは2020年くらいだったかな。
久野:はっきり言ったのは、組織作りプロジェクトが始まった2019年からですね。
立田:確かに「これがないよね」とか「なんでこうなんですか?」とか聞かれた際に、全部答えようとしてドツボにはまっちゃうことありますね。
不破:みんなそういうところあると思う。私もこれって違うんじゃないかな? と思いながらやっていて、葛藤があったんだ。
その違和感を組織作りで参入したスタッフに話したら賛同してくれて。やっぱりみんなで作っていくものなんだと思えた。事務局と現場とかそういうことではなく、ないものは作っていくし、こちらに求めるのではなく一緒に考えようね。と言い始めたのは2019年とか2020年くらいだったかな。
沖縄に行くというのも、そんな時期、2018年くらいから思っていたんだよね。でも無理だな、ってすぐに諦めたの。
久野:おうちえん開園もあったからですかね。
不破:開園もあったし、今は無理だよねって夫に言われて。「あぁ、無理か」ってその時は思ったんだ。でも次の10年後を考えたとき、もう少し違うエリア、違うフェーズに行きたい、という気持ちになった。それで2019年夏にもう一度沖縄に行って、家族のことも考えて、やっぱりこのタイミングは逃せない、行こう!と思った。
地域密着だから近くで暮らすべきというマインドを自分も外したかったし、スタッフもその囚われから解放したかった。代表でも遠隔で仕事ができる、というメッセージをみんなに伝えられたら、っていう思いもあったんだよね。
久野:工房で働くために引っ越してきた人は一定数いて、いずれ地元に帰りたいと思っていたり、退職して帰った人もいたりしますね。不破さんが移住したことで、遠隔でもやれることもあるということをみんなが思ったのは大きかったですね。
ダイバーシティ工房、これからの10年
ー2022年3月の経営会議では、工房10年後のイメージをキーワードにするワークを行いました。
立田:「自由」というキーワードが出ましたが、これはどこでも自由に住めるしやりたいことをやれるっていう意味だと思いました。
私は「安心して暮らせる」というのを書きました。ただ普通に暮らしたいだけなのに、それができない人がいることをルファールで働いて実感したんです。工房って何かすごいことではなく、ただ普通に安心して暮らせるということをずっと大事にしていて、ビジョンにもある。それに自由が加わると良いなと思います。
大野:「色んな人が集まってワイワイ」というキーワードも出ましたね。プラットみたいな場所のイメージで、色んな年代の人が目的があってもなくても集まれる居場所をつくっていきたいと思っています。
不破:私自身は実はあの会議の中で「自由」って出さなかったのね。みんなから出てきた「自由」って言葉を見て、そうか、今は自由じゃないんだな、と思った。
「ワイワイ」とか「自由であり続ける」という話をする中で、到達するのはまだ先、という感覚がみんなの中にあるのを感じたんだよね。でも10年後はだいぶ先じゃない? 私はそれより近い2年後とかに今回みんなから出てきた「自由」とか「自然の中でとかコラボレーション」とかが実現すると良いな、と思っています。
社会福祉法人の設立へ
ー不破さんは「 国内多拠点」のキーワードを出していますね。
不破:みんなは「自由」ってキーワードを出していたけれど、今、私は市川にいたときより精神的にかなり自由になったから、そこじゃないところ(「国内多拠点」)を書いたのかなと今振り返って思った。
沖縄に来てみて生活のしやすさを感じているけれど、市川というホームグラウンドがあるからこそ私は沖縄の生活を楽しいと思えるんだ、ということを3月(2022年)に市川に帰ってきたときに感じたんですよ。
今法人内では私と同じようにフルリモート勤務している人も鹿児島にいるし、移住したい人たちの話も聞いている。沖縄に来てから会う人は移住者も多くて、2拠点3拠点で活動している人たちにも会う。
法人として全国を対象にLINE相談の「むすびめ」を始めたり、私も移住したりしたことから、今までの「地域密着」から一歩踏み出して、もう少し全国で楽しいことをしている人たちと、わいわい繋がるみたいなことをやれたらいいなと思っていて。そういった思いもあり「国内多拠点」を出しました。
地域密着とそこから一歩踏み出すことの両方を実現していくために、今考えているのが社会福祉法人の設立。
社会福祉法人(以下、社福)では、ダイバーシティ工房が今行っている事業の一部を移管しながら職員にも長く働いてもらえるように待遇とか、評価制度も整える。
そうではないもっと身軽なものをNPOとしてのダイバーシティ工房に集約させたほうが自由度が増すのかなっていうのを今思っています。その辺が自分の中ではっきりしてきたのかな。
ーNPO法人に加えて社会福祉法人を設立するという構想は今まであったのでしょうか。
不破:社福を設立するという話は2018年の小規模保育所「そらいろおうちえん」を設立するころから考え出していて、自立援助ホームのルポールを始めてからは、「養護施設はやらないのか」「母子向けのホームをやりたい」など、スタッフや周りの人から言われることもあった。でも私の中では社福はすごく責任が重いという気持ちが大きくて。
それが第3子の育休を経て、社福を作ったほうが職員が働く上でもメリットが大きい、という気持ちに変わってきたんだよね。
創業した当初は、自分達がやっている社会課題を解決する事業はなくなっていったほうがいい、待機児童がいなくなれば保育園も終わり、と考えていた。
でも「私たちの事業が必要とされなくなることはない」というのは、良くも悪くも10年やって分かったんですよね。
10年たってもスタジオplus+の待機者はずっと多いし、おうちえんの保護者からも毎年卒園の時には感謝のメッセージがたくさん届いて、5歳までの保育園を作って欲しいという声が絶えない。今ある事業をなくすことってだれも望んでいないんだと改めて実感したんです。
それに職員が長く働き続けてくれた方が、サービスの質は高くなる。地域に残り続けることは大事だよね、というのが私の中でも確信に変わってきた部分です。
私自身も振り返って自在塾を始めたころに関わっていた子どもたちを思い浮かべると、社会的擁護の分野はもともと関心があった。10年やってみて当初やりたかったところに戻ってきた感じです。
社会福祉法人とNPO法人2つの法人を通じて事業を展開しながら人が育つ環境、地域の中にずっと残る場所を作っていきたいと思っています。